3月11日に祈りを捧げる
命の尊さを考える日
2011年3月11日
この日私はお客様の高層マンションで夕食の支度をしていました。
13時頃に伺い、15時前には後片付けも終わり、そろそろ帰ろうかな、という時でした。
ぐにゃり、とビルが曲がるような感触のあと、経験したことがない、強い揺れがきました。
一瞬何が起こったのかわからず、でも次の瞬間、お客様と生まれたばかりの赤ちゃんのことを思い、振り返ると、お客様が赤ちゃんを抱っこして、ドアを開けているところでした。
それから、幾度となく強い揺れが襲い、私たちはリビングのテーブルの下にもぐり、館内放送で、建物内が安全なので、むやみに外に出ないようにとの呼びかけを聞き、テレビのニュースで今何が起こったのかを、知ったのでした。
電車は止まっている。交通はマヒしている。
復旧のめどはつかない。
しばらくお客様のお宅にいましたが、日が暮れる前に歩いて帰ることにし、外に出ました。
お客様のお宅は16階。
もちろん、エレベータは止まっている。
非常階段を使って下に降りると、登る人、降りる人とすれ違いました。
地上に出た時はまだ外が明るく、電車が止まっているというだけで、他はあまり変わりがないように見えました。
2時間くらい歩き、自宅最寄り駅に近づいた頃には、もう日が暮れていました。
その頃には各地から歩いてきたであろう人がどんどん集まっていていました。
携帯もつながらない。
家族がどうしているのかも、連絡もできない。
暮れ始めた道をただひたすら歩き、やっと家に辿りつきました。
幸い、自宅も実家も特に大きな被害はなく、みんな無事でしたが、今まで経験をしたことのない地震による影響の恐ろしさを、この時はまだ全く分かっていませんでした。
それから、ニュースで知る震源地の被害の大きさ。
なんてことが起こったのだろう!
しばらくは、電車で長距離の移動も怖くなり、緊急時に備えて、食料と水の確保。
もしものことを考え、いつでもおむすびを用意していました。
安心、安全、平和な日々はこうも簡単に崩れてしまうのか。
被害にあった方々は何も悪くないのに。
今自分が住んでいるところで、大きな地震がやってきたら?
そう考えると、当たり前に暮らしている日々のなんてありがたいこと。
自然のなすことに、なんて非力なのだろう。
華美な明かりが消えた日。
尊い命が一瞬に奪われた日。
この日のことは忘れようにも忘れられず。
今年も祈りを捧げたいと思います。